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萬福池

【萬福池】
萬福池は、羽島から土川に向かう途中にある灌漑用の池です。弘化4年(1847)、薩摩藩直営の 工事として始められました。当時20歳の西郷隆盛は、薩摩藩の河川土木方の書役助として萬福池の工事 に加わったと伝えられています。また、「西郷隆盛の足跡」といわれる窪みのある石も見られます。

玉石積の防波堤

【玉石積の防波堤】
浜中港にある玉石積の防波堤は、萬福池工事で余った玉石を使ったと言われ、現在「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれています。

萬造寺斉 生誕の地

【萬造寺斉 生誕の地】
萬造寺斉は、明治19年(1886年)いちき串木野羽島に生まれた。 明治41年(1908年)東京帝国大学(現東京大学)英文科に入学と同時に、与謝野寛の門下生となり石川啄木、高村光太郎、北原白秋などとも交友を深めた。 大正6年(1917年)東京から京都に移り住み、京都の自然を愛した。折をみては全国の山を数多く踏破し、燃える思いを歌にあらわし、歌集「憧憬(どうけい)と漂白(ひょうはく)」「山嶽頌(さんがくしょう)」などを出版した。 昭和32年(1957年)7月、70歳の生涯を閉じ、同年11月に文学葬が母校羽島小学校で行われた。顕彰会では昭和35年(1960年)羽島崎に望郷歌3首を刻んだ歌碑を建立、佐藤春夫も列席、昭和37年(1962年)萬造寺斉選集10巻が編さんされている。

萬造寺斉 歌碑

【萬造寺斉 歌碑】
羽島崎の萬造寺斉の歌碑は、羽島史跡顕彰会によって昭和三十五年三月に建立されました。 羽島石の歌碑には、文人佐藤春夫が選び、新村出博士揮毫(きごう)の三首の望郷の歌が刻まれています。

   ■望郷歌
   行かまほし 悩みいたづき 振りすてて 南の海辺 遠きふるさと
   ふるさとや 海のひびきも 遠き世の こだまの如し 若き日思へば
   ふるさとの 浜の砂原 小石原 生きてふたたび 踏まむ日なきか

羽島漁協うんのもん

【羽島漁協うんのもん】
記念館の目の前にある羽島漁協直営の物産館。ちりめんや旬なお刺身など羽島の海産物を中心に、「がねんてんぷら(羽島のかきあげ)」や「地魚のさつまあげ」などを購入することができます。

くしき野白浜温泉 みすまるの湯

【「くしき野白浜温泉 みすまるの湯」】
羽島白浜の東シナ海を望む小高い丘にあり、開放感のある露天風呂からは沖ノ島や甑島が見渡せ、晴天時夕刻の洛陽は格別です。施設内にはコーヒースタンドやゲストハウスも設置されています。

サンセットパーク

【串木野サンセットパーク】
県道43号を羽島から薩摩川内市へ向かう途中、東シナ海を一望できる高台にあります。 天気の良い日には正面に甑島、南方向には野間岳を見ることができます。また、夕暮れ時には絶景の夕日スポットとなります。

【羽島崎神社】
地域の鎮守神として信仰されている羽島崎神社は、その昔、一羽の鷹の子(鷹巣神)が飛んできて羽島崎神社の神様になったと言われています。また、旧暦2月4日に近い日曜日には豊作を願う「田打ち」と豊漁・航海の安全を祈る「船持ち」の礼儀などを行う春の大祭『太郎太郎祭り』が開催されます。また、羽島崎神社境内にはゴンザの祠と胸像があります。江戸時代(1728年)、薩摩藩主島津継豊の命を受けたゴンザは大阪に船で向かう途中、嵐に遭遇しロシアのカムチャッカ半島に漂着しました。その後、サンプトペテルブルクにて日本語の教師をしながら露和辞典を完成させました。この辞典に羽島の方言に似ている言葉が引用されていたことから、ゴンザは羽島出身だと推測され、平成22年、282年ぶりに故郷に御霊が迎えられました。

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