萬福池
萬造寺斉 生誕の地
萬造寺斉は、明治19年(1886)いちき串木野市羽島に生まれた。明治41年(1908)東京帝国大学(現 東京大学)英文科に入学と同時に、与謝野寛の門下生となり石川啄木、高村光太郎、北原白秋などとも交友を深めた。大正6年(1917)東京から京都に移り住み、京都の自然を愛した。折をみては全国の山を数多く踏破し、燃える思いを歌にあらわし、歌集「憧憬(どうけい)と漂白(ひょうはく)」「山嶽頌(さんがくしょう)」などを出版した。昭和32年(1957)7月、70歳の生涯を閉じ、同年11月に文学葬が母校羽島小学校で行われた。顕彰会では昭和35年(1960)羽島崎に望郷歌3首を刻んだ歌碑を建立、佐藤春夫も列席、昭和37年(1962)萬造寺斉選集10巻が編さんされている。
萬造寺斉 歌碑
くしき野白浜温泉 みすまるの湯
サンセットパーク
羽島崎神社
地域の鎮守神として信仰されている羽島崎神社は、その昔、一羽の鷹の子(鷹巣神)が飛んできて羽島崎神社の神様になったと言われています。また、旧暦2月4日に近い日曜日には豊作を願う「田打ち」と豊漁・航海の安全を祈る「船持ち」の礼儀などを行う春の大祭『太郎太郎祭り』が開催されます。また、羽島崎神社境内にはゴンザの祠と胸像があります。江戸時代(1728年)、薩摩藩主島津継豊の命を受けたゴンザは大阪に船で向かう途中、嵐に遭遇しロシアのカムチャッカ半島に漂着しました。その後、サンプトペテルブルクにて日本語の教師をしながら露和辞典を完成させました。この辞典に羽島の方言に似ている言葉が引用されていたことから、ゴンザは羽島出身だと推測され、平成22年、282年ぶりに故郷に御霊が迎えられました。