トーマス・グラバー ちょこっと話(^_-)-☆

IMG_21481867年(慶応3年)6月2日、トーマス・グラバーは故郷アバディーンへ向かっていました。そしてセイロンのゴールに寄港した際、偶然にも帰国途上である町田久成とばったり出会いました。この時、二人の間でどんな会話がなされたかは定かではありませんが、グラバーの帰国の目的は小菅修船場建設準備と資金調達のためだったようです。小菅に関してはアレグザンダー・ホール社に連絡を取り、造船所建設の交渉を始めます。それはグラバーが幼少の頃アバディーンからフレバーザラへ移送された特注のドックと同じで、まず分解して長崎に持ち込み、現地で組み立てることになる造船台の建設でした。この造船台は、日本にとって外国船の購入から国内での船舶建造へと画期的変化の達成となり、やがて日本帝国海軍だけでなく、三菱財閥の礎石ともなるのす。         資金面ではアバディーンにいる家族が銀行からの融資を用意してくれたようです。しかし、1868年1月に彼が日本に戻ると反幕派の友人たちは統治側にまわり、諸大名の権力が維新政府に移るや否や、いくつもの藩が武器代金の支払いを不履行にし、多額の負債を抱えることになります。何千丁もの銃が売れ残り…グラバーは武器の売却が利益をもたらす時代が過ぎ去ったことを悟り、九州にある資産を整理統合し、実業家への転身を図ります。この時彼は、長崎の南西海上にある高島炭鉱に目をつけるのです・・・。

畠中

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