寺島宗則ら幕府遣欧使節団、皇帝ナポレオン三世と謁見

IMG_1871154年前の今日は、寺島ら幕府遣欧使節団が皇帝ナポレオン三世と謁見した日です。
開港後の日本は、輸出品の急増と金銀海外大量流出による物価高騰を引き起こし、武士や一般民衆の生活は困窮しておりました。それによって、攘夷派による外国人襲撃事件が後を絶ちませんでした。そこで幕府はこの事態を鎮めるため、兵庫と新潟の開港、江戸と大阪の外国人居留を延期する方針を決めます。そして、開港開市の延期に関してヨーロッパ諸国と直接交渉するため、さらには西洋事情を視察するため使節団をヨーロッパへ派遣させます。この幕府遣欧使節団(36名)のメンバーとして、寺島宗則が選抜されました。
1861年1月21日、使節団は英国軍艦オージン号で品川沖を出発した後、フランスのマルセイユに入港し、1862年4月7日、首都パリに到着します。そして、同年4月13日、寺島ら使節団一行は皇帝ナポレオン三世と謁見します。この謁見後、寺島らは派遣の目的の一つでもある西洋事情の調査として、フランス、イギリス、オランダ、ロシアなどの病院、学校、アームストロング砲製造所、電信局などの施設を巡ります。
開港開市に関する外交交渉の結果は、輸入関税低減などを条件に開港開市の5年延長するという合意をイギリス、フランスから得ることができました。

✳︎こぼれ話✳︎
寺島は遣欧使節団として出発する約2ヶ月前、出発準備に追われる中、島津斉興の侍医をしていた曾昌啓の長女、茂登と結婚しています。新婚後間もなくしてヨーロッパへ旅立った寺島を、約1年間茂登はどんな気持ちで待ち続けていたんでしょう。

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