激動の幕末、薩摩藩に英国留学生ら使節団の派遣を上申し、自ら海を渡った五代友厚。帰国後は明治新政府の官僚として外務や財務を担当、大阪判事も兼ね、大阪復興に尽力。33歳で官を辞すると全国で鉱山業を興し、現在の大阪商工会議所や大阪株式取引所、大阪市立大学の前身にあたる商業講習所を設立するなど実業家としての腕を発揮し、大阪の恩人と呼ばれるまでに。
一方で「北海道官有物払い下げ事件」関与の疑いから政商のイメージを背負うことに・・・。
時は流れ、その後明らかになってきた五代に関する史実。
五代を追いかける今を生きる人たちを通して、五代の「赤き心」を探ります。
「赤き心」
五代が書簡等で残した言葉で、曇りのない真心という意味。