今から127年前の1889年(明治22年)12月10日、新納久脩 満57歳でこの世を去りました・・・。
1832年5月15日(天保3年4月15日)、薩摩藩家老・新納久仰の子として生まれました。戦国時代の武将・新納忠元からは13代目となります。新納は1885年(明治18年)7月、鹿児島県少書記官になります。その後、10月に大島郡役所が廃止され、大島金久支庁(現・大島支庁)が設置されると支庁長として赴任。翌年金久支庁が大島島庁と改称されたため、支庁長が島司と改称されます。新納は島司として負債に苦しむ島民のために尽力。島内の実情を把握した彼は、まずは人材養成と考え、教育に力を入れます。そして島庁に優秀な人材を集め、黒糖の流通機構改革に取り組むのですが、当時、黒糖流通を独占していた鹿児島県商人らの妨害を受け、赴任してわずか半年で罷免。新納に対する処分について『名瀬市誌』に「義人新納の免官は、奄美群島民の胸に、鹿児島県庁に対する決定的な不信と怨念を長く刻み込むことになった」記されているそうです。この3年後、窮迫のうちに新納はこの世を去ったのでした・・・。
畠中