今から169年前の1847年11月1日(弘化4年9月24日)名越時成は父左源太(南島雑話著者)・母タネの長男として誕生します。4兄弟の中の3番目になります。(姉2人、時成、次男)島津家の代々にわたる門閥でありました。当初、時成は英国留学生には選ばれていませんでした。出発直前に辞退した候補者に代わって、選ばれることになります。約1年間勉強したのちに帰国し、世間や親からは「西洋かぶれ」と冷たく扱われ、大変苦労したそうです。その後の消息はわかっていません。宮崎県高鍋村で65歳の生涯を閉じます。
鹿児島中央駅前にそびえる「若き薩摩の群像」。名越時成は駅正面から見て反対側の左下で腕を台に乗せて本を読んでいます。本を持っている留学生は数名いますが、1・2位を争うくらい分厚い本です。おそらく、勤勉で優秀な留学生だったと思われます。ちなみに「名越」の読み方はナゴエでもなく、ナゴシでもなく「ナゴヤ」です。
久徳