今から64年前の10月(1952年10月)、長沢鼎の遺骨が鹿児島に安置されます。82歳で亡くなった長沢鼎は死後、サンフランシスコ郊外で火葬されました(1934年3月)。それから18年後、遺骨は東京青山墓地に埋葬されます。そして今から64年前の1952年(昭和27年)10月某日、親族の手により鹿児島市易居町、不断光院に遺骨は安置され、その後冷水町興国寺にある長沢鼎の墓建立とともに、埋葬されました。
The transition is near now…it shall be beautiful.(天国に逝くときが近づいたようだ・・・そこは、きっと美しいところに違いない。)と最期の言葉を告げた長沢。彼は親族や様々な協力者の力を経て、故郷鹿児島に帰って来たのでした。
久徳