薩摩藩第二次の留学生のお話・・・

2016-10-05-15-59-20今日は、薩摩藩が英国留学生に引き続き派遣した第二次の留学生についてお話をします。

第二次留学生の派遣決定は、英国留学生が派遣された同じ年の暮当たりのこと。渡航先はアメリカ。あちらの方が学費も安く、また日本に来ているアメリカ人宣教師が進んで手を貸してくれるなどの理由があったようです。第一陣は、二礼景範・江夏蘇助・湯地治右衛門・種子島敬輔・吉原弥次郎、第二陣は木藤市助。木藤は現地の準備を整えるため、他の5名より先にアメリカへ渡ったそうです。この第二次留学生に選ばれたメンバーもやはりほとんどが「開成所」からであり、いずれもバリバリの攘夷派です(五代の提案通りといったところでしょうか)。アメリカ人宣教師フルベッキの依頼により、長崎在留のアメリカ商人ロビネットが彼らの移送や留学資金の送金手続きなどの具体的な段取りを行ったそうです。1866年5月10日(慶応2年3月26日)、長崎港よりポルトガル船に夜8時頃乗り込んだそうですが、生憎天候が悪く、二日間足止めを食らってしまいます。その後、まず上海に向けて出発。上海まではロビネットが同行。彼らは一か月ほど上海に滞在し、途中イギリスに立ち寄った後にアメリカへ向かいました。

畠中

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