今から154年前(文久2年・1862年)10月2日に日本との間にパリ覚書が締結されます。その交渉にあたったのが文久遣欧使節団の1人、寺島宗則でした。パリ覚書に至ったのは、4か月前に締結されたロンドン覚書があったからです。新潟・兵庫・江戸・大坂の開港開市を5年間延期することを承認したのを受け、各国政府がこれを同意・調印しました。フランスもそれならば・・ということですね。延期が認められた代わりに、輸入関税の低減化や特定品目の輸出自由化などが加えられました。
久徳
今から154年前(文久2年・1862年)10月2日に日本との間にパリ覚書が締結されます。その交渉にあたったのが文久遣欧使節団の1人、寺島宗則でした。パリ覚書に至ったのは、4か月前に締結されたロンドン覚書があったからです。新潟・兵庫・江戸・大坂の開港開市を5年間延期することを承認したのを受け、各国政府がこれを同意・調印しました。フランスもそれならば・・ということですね。延期が認められた代わりに、輸入関税の低減化や特定品目の輸出自由化などが加えられました。
久徳