131年前(1885年・明治18年)五代友厚は糖尿病・心筋梗塞により49年の短い人生を終えました。
「五代が愛した大阪で最後を」という松方正義の意向で、東京築地の別宅から大阪中之島の自邸(現在の日銀大阪支店)へと亡骸は移されました。葬儀には約4000人以上が参列し、長蛇の列は途絶えませんでした。彼のお墓は大阪営南・阿倍野墓地内にあります。
資産はなく、借金だけが残された。商売人として信用を重んじていた五代にとっては、自らの資産を投げ打ってまでも他人を応援し、思いやる気持ちをもつ、正義の味方のような人物だったように思えます。
久徳