1885年(明治18年)9月29日、日本郵船が創立されました。現・三菱グループの源流企業の一つであります。実は、この日本郵船の設立に五代友厚が関係しています。
まだ列車もトラックもないころ、海運が物流の要でした。当時、これを独占していたのが三菱。三菱の専横許すまじと渋沢栄一や井上馨が画策し、これに対抗しうる海運会社として1882年7月、共同運輸会社を設立します。営業が開始されるや瞬く間に激しいダンピング競争が展開されます。三菱側も次第に共同に食われ、採算の悪い路線の廃止や、経費節減、人員削減を迫られます。旅客運賃は20~30%オフ、団体は現場の判断で臨機応変に割引、また両社同時出航の場合、我先にと言わんばかりに競い合い、ついには衝突事故まで起こしてしまう有様・・・。余りのひどさに当時農商務卿だった西郷従道は運賃、出航時刻、乗組員などに関する30条の協定を両社に結ばせます。しかし、うまくいきません・・・たちまち反故になります。こんな中、一役買ったのが五代友厚だったのです。かなり難しい交渉だったようですが、他の仲介者と共に両社の合併を成立させ、日本郵船創立の運びとなったのでした。
畠中