薩摩藩士として命がけで渡英し、帰国後も薩摩のために尽力した人物、高見弥一。彼は土佐香美郡野市村(現高知県香南市)生まれ。大石団蔵の名で土佐勤王党の一員となり、対立する土佐藩の実力者吉田東洋の暗殺に加わりました。刺客となった三名は土佐藩の捜索を逃れて京都の薩摩藩邸にかくまわれますが、手助けしたのは尊王攘夷派の薩摩藩士、海江田信義、そう・・・生麦村にてリチャードソンにとどめを刺した人物です。そして、2名の刺客は尊王攘夷派の反乱に加わり、土佐藩士と戦死。しかし、大石は行動を共にせず翌年には薩摩の地を踏んでいます。
薩摩スチューデントの19名を選ぶ際に、1番最初に名前があがったと言われるほどの秀才だった高見弥一さん。帰国後も教員などを務め、本籍とした鹿児島市加治屋町で鹿児島士族として53年の生涯を閉じられました。記念館では高見弥一さん、また長崎出身の堀孝之さんのプロフィールを展示室入って、すぐに見ることができます。ぜひ、薩摩藩士として旅立ち、帰国後も日本のために尽力された2人の雄姿をご覧くださいませ。