157年前(1859年/安政6年)9月19日にトーマス・グラバー(21歳)が来日、長崎に到着します。スコットランドの高校を卒業後、19歳の時にビジネス・チャンスを求めて上海に渡ります。ジャーディン・マセソン商会に入社した彼は、長崎代理人のケネス・マッケンジーの誘いを受け、開国したばかりの日本へとやってきました。その約1ヶ月後にイギリス領事館におもむき、在留名簿に登録します。
その当時、今では観光地となっているグラバー邸はなく、宿泊先はオランダ人商館とその館員達が移住する出島でした。しかし他国の商館にいつまでも宿泊するわけにはいかないので、マッケンジーが借家していた梅ケ崎邸に移住しました。その間に、”グラバー邸”が建設されることになる土地購入の手続きを行います。
東洋の小さな島国の未来に大きな期待を持って降り立ったグラバー。しかし、その後の日本を大きく左右するほど自らが大きくかかわっていくとは…。
久徳