村橋久成 戊辰戦争参戦で鹿児島出発

2016-08-31 19.44.49慶応4年(1868年)、旧幕府軍と薩長を中心した新政府軍が激突した戊辰戦争が勃発します。そして、148年前の今日(1868年9月2日)、村橋久成は加治木砲隊長として250名もの兵とともに鹿児島を出発します。新潟、山形、青森、函館と転戦し、村橋は大三軍・陸軍軍監に任命され、海軍副総裁であった榎本武揚率いる旧幕府軍と函館で激突します。村橋が所属する大三軍の指揮者は同郷出身の黒田清隆でした。勝敗は旧幕府軍の敗北がみえていましたが、黒田は「オランダ留学で高度な学問を学んだ榎本の才能を失うことは、国家の損失になる」と考え、榎本失うことなく戦争を終結しようと降伏を勧めます。その交渉の仲介にたったのが村橋でした。村橋は、負傷で函館病院に入院していた敵軍の諏訪常吉の見舞いに行き、見舞金として25両渡し、講和交渉を申し入れます。しかし、諏訪は重傷で大変衰弱していたので、代わりに病院長の高松凌雲が榎本に村橋らの勧告を伝えます。そして5日後の6月26日、榎本は降伏を表明し、翌日、五稜郭は落城したのです。

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