第1回内国勧業博覧会開催

2016-08-20 10.24.211877年(明治10年)8月21日に、第1回内国勧業博覧会が上野公園で開催され、11月30日まで行われました。大久保利通が陣頭に立ち、総裁に就任しました。富国強兵・殖産興業、西洋技術の紹介・国内産業の競争・発展を目的とされたもので、初代内務卿大久保利通の提案で始まったと思われますが、早くから民業育成の必要に注目していたのは勝海舟でした。物産学を新設し、高名な本草学者の伊藤圭介を招聘しました。「産業振興物産会」を開催しようと努めた2人でしたが、幕府が倒れ1度も開催されることなく終わってしまいます。勝海舟のアイデアと伊藤圭介の収集してきた物品は、維新後の「大学」物産局に引き継がれました。大学に着任した町田久成は、故郷に帰っていた「物産会」の担当をしていた伊藤を復職させ、また大阪にいた町田の助手の田中芳男も戻しました。そして「博覧会」の開催準備に取りかかったのでした。そして天皇と皇后の臨席をあおいで盛大に開催されました。

全国各地から8万5千点をこす特産品が集められました。その出品物は、化学・工作・紡績・製氷、農産など。また外国製風車や金属製の農機具。外国の模倣として、外国製品を分解して模造したミシンや印刷機などもありました。西欧の技術を日本の産業に合うように改良した製品が注目される点でした。また出品物は審査も行われ、優秀作には褒状などが授与されていました。入場者は45万4668人にものぼりました。この博覧会は第5回まで開催され、技術的にも上がり現存する企業の創始者たちによる出展もみられたようです。

殖産興業のための博覧会は博覧会として行い、イギリスで見たあの大英博物館、ケンジントン博物館が忘れられない町田は、西欧型の大博物館建設にさらに邁進します。また、内国勧業博覧会で「美術館」や「器械館」と呼ばれた陳列館ものち、大博物館に生かされることとなります。

久徳

カテゴリー: あの時代の今日は何の日? パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です