153年前の今日、イギリス艦隊鹿児島に来航(@_@)

2016-08-10 15.02.581863年8月6日(文久3年6月22日)の朝、キューパー提督率いるイギリス極東艦隊が、要求に応じようとしない薩摩藩と交渉するために代理公使ニールとイギリス公使館員7名と共に横浜港を出航。このときに参加した7艦をご紹介。まず旗艦ユーリアラス号(2,371㌧・砲35)・パール号(1,469㌧・砲21)・コケット号(677㌧・砲4)・アーガス号(981㌧・砲6)・パーシューズ号(955㌧・砲17)・レースホース号(695㌧・砲4)・ ハヴォック号(233㌧・砲3)。砲門数総計90。このうち、ユーリアラス号には44箱、パール号には35箱の幕府からの償金が積み込まれたままでした・・・(@_@;)      一方、生麦事件以来、薩摩藩はイギリスと幕府との動静に注意を払い、情報収集のために江戸藩邸に人材を補強。また万が一のために軍備強化も。そこに江戸からの情報でイギリス側の要求三項目が伝えられたことにより藩内の気運は一気に臨戦態勢へと向かいます。実は、この三項目の中には「三郎(久光)の首級」という(>_<)とんでもない項目が含まれていたのです。しかし、これはどうやら間違いだった???。ニ-ルの通告文の翻訳は、20日の期限内に回答を迫るニ-ルの督促を受けて、夜を徹してあわただしく行われました。訳文は一種類ではなく、二種類ないしそれ以上あったようです。このとき、翻訳を担当したのは福沢諭吉他4名。誤訳でしょうか?・・・それとも幕府側の作為でしょうか・・・。さて、そんなことになっているとは思いもよらず1863年8月11日(文久3年6月27日)夕刻、鹿児島湾入口に到着したイギリス艦隊。湾内全体の水深が深いため、碇泊場所を探すのに時間がかかり、夜10時頃投錨。 さあ、いよいよ翌日から薩摩藩との接触が始まることとなります・・・。

この続きは、8月15日にお届けします(^.^)/~~~お楽しみに☆

畠中

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