開成所設立、長沢入学

2016-07-28 14.39.04今から152年前の1864年(元治元年)7月某日、開成所が設立されました。石河確太郎・八木弥平が教授に任せられ、町田民部(のち久成)が学務総括に就きました。薩英戦争の経験もあり、富国強兵、海陸軍の軍事技術(兵法・操練・築城・航海・造船など・・)を始め、医学などを取得させるねらいがありました。また、「海軍・航海・測量・器機など学ぶため、他国修行を希望する人は、ひととおり開成所で稽古の上、江戸・長崎などに送る」とし、志願者はひとまず開成所に入るようになっていました。つまり、留学生の予備校でありました。五代才助上申書が上申された約1ヶ月後には設立するとは・・・志半ばで他界した斉彬公の洋学校設立が着実に遂行されたようです。

その後、海軍教育のため海軍所が設立され、陸軍所も設けられて、開成所は英数学などの基本知識を学ぶ施設へと変わっていきました。長沢(12)はこの開成所の一期生第三等諸生として入学し、英学を中心に学びました。森有礼全集では「当時洋学は蘭学と英学となりき、蘭学は頗る盛にして其生徒6・70名もありしが、英学は僅に8・9人に過ぎざりき、而して金之丞は吉田清成、鮫島尚信、寺島宗助、松村淳蔵、長沢鼎、畠山丈之助等と英学の研究者なりき(第3巻14項)」とあります。寺島を除く、この6人がのち渡米するとは・・・なんだか運命を感じますね。

久徳

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