大阪と言えばやはり五代友厚! 外国事務局判事に任命された五代友厚は大阪在勤となり、川口運上所(港への物の出入りを管理する機関で外交事務や関税を取り仕切る所、現・大阪税関の前身)の責任者となり、外国貿易の事務を管轄していました。そして新政府は明治元年7月15日、大阪を開港することを宣言します。そこで五代は、外国船停泊のため波止場の新設や港の整備、外国人居留地の建設、など開港準備に奔走します。また、諸外国との貿易の正常化を図るため、密輸や不正外国商人に対して毅然と厳しく取り締まりました。このように五代は大阪がやっと開港したことで、大阪を世界に通用する貿易都市にしよう考えていたのでした。
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