1925年(大正12年)7月11日鹿児島朝日新聞は、葡萄王長沢が4回目となる帰鹿したことを伝えています。また、旅館に着いても洋服を着替えることもなく、上着を脱ぐかだけで暑そうには見えないということを記しています。鹿児島新聞も、南国にいるには暑すぎる服装にみえると伝えています。長沢鼎(71歳)が着ていたスーツはスコットランド南部で産する毛織物を模したツイ-ドでカリフォルニアでもいつも愛用していたそうです。半袖でも暑い鹿児島ですが、カリフォルニアで汗水流して働いていた彼にとっては慣れたものだったのでしょうか?
また親族で宴会があった際は、費用は全て小切手で支払ってほしいと渡したが、誰もその扱い方を知らずびっくりしたと彼は言っています。
大好物のしんこ団子を見つけ、お店の人に5円札(当時、このお金で1,000本の団子が買える金額に相当したそうです!)を渡して道端で食べていたというエピソ-ドも残っています。・・・果たしてお店の方は、長沢におつりを返せたのでしょうか?笑顔で「また食べにくっときのチップでとっときやんせ~。」なんておっしゃったかもしれませんね。
長沢にとって最後の鹿児島訪問になるのでした。
久徳