長州ファイブ、洋行の決意!

2016-06-26 16 04 19今日は長州ファイブ(山尾庸三、井上馨、井上勝、伊藤博文、遠藤謹助)が留学を決意するまでの経緯と五人の顔ぶれが揃うまでをご紹介します。

五人の中で留学計画を主導したのは井上馨でした。彼も吉田松陰と同じく松代藩の学者・佐久間象山の思想に影響を受けた1人でした。佐久間は黒船来航の際、現地へ赴き、その戦艦の大きさや精巧さ、砲撃の威力などに度肝を抜かれます。そこで列強に伍していくには「夷の術を以て夷を防ぐ」以外に道はなく、そのためには「彼を知りて己を知る」必要があると塾生たちに説きます。その塾生たちに吉田松陰をはじめ勝海舟、山本覚馬、小林虎三郎など各地から集まった錚々たる俊才たちがいました。中でも、この教えに忠実に従ったのが吉田松陰、彼は密航を企てますが、あえなく失敗します。これに佐久間も連座して投獄され蟄居を命じられます。それから8年後の1862年(文久2)、蟄居が解かれると待ちかねたように象山のもとに諸藩から召し抱えたいとの申し入れが届きます。長州藩もその中の一つで、久坂玄瑞らを松代へ派遣していました。しかし、象山はあくまで幕政に関与したかったのか、否か・・・要請を断ります。この後、久坂らは京の長州定宿、池田屋へ向かいます。そこで藩主親子のお供で京に滞在していた井上馨と遭遇します。久坂から象山の時局論、海防論、海外への人材派遣の話などを聞いた井上は大いに共感し、洋行を決意します!井上は周布政之助・小幡彦七ら藩上層部に洋行の意を伝え、許可が得られるよう斡旋を依頼します。また時を同じくして山尾庸三や井上勝も、周布らに留学が実現できるように協力を要請していました。三人の若者の熱情を理解した周布は、藩主の説得にかかります。その一方で、周布は藩の御用商人・大黒屋番頭の佐藤貞次郎に会い、密航資金の融通とマセソン商会への仲介を依頼します。その後周布らの行動が実を結ぶと、井上馨・山尾庸三・井上勝の三人に対し、5年間の暇を与えるのでしっかり学んで藩のために尽くせと内命が下ります。「内命」、つまり藩は関与しないということ・・・。藩の重役たちも「この事、他人に洩るることがあらば、長州に二心あるが如し、秘すべきことなり」と述べています。そして藩主・敬親から一人当たり二百両(敬親のポケットマネー)の学資を受け取った井上たち三人は江戸へ向けて出発します。この時、伊藤博文も藩命で鉄砲の買い付けに江戸に来ていました。既に井上馨から留学の計画があることを聞かされていた伊藤は、自分も一緒に行こうと決めていたのでした。そしてもう一人、江戸で航海術を学び洋行を希望していた遠藤謹助も遠縁にあたる江戸藩邸留守居役の小幡彦七の勧めで仲間に加わることになりました。こうして五人の顔ぶれが決まり、密航準備に取り掛かることになります。明日は、密航の段取りとロンドンに到着してからのことをお届けしますね(^.^)/~~~

畠中

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