138年前の今日(6月17日)は、大阪の恩人と称される五代友厚が尽力した「大阪株式取引所(現 大阪取引所)」設立の免許が下りた日です。
151年前、五代は視察員として薩摩スチューデントらと共に英国に渡り、ヨーロッパ諸国の近代的な産業・工業を視察しました。そこで五代は「株式会社」という仕組みを知ることになります。そして英国滞在中、五代は薩摩藩に提出した資料の草案の中に『これからは単独で事業をするのではなく、合資し商社を設立するべき』という内容を書いています。
帰国後、五代は官職に就き大阪に移り住みますが、約1年後には官を辞して実業家に転身します。その当時は、「天下の台所」と呼ばれていた大阪経済は疲弊し、商人同士の潰しあいや奪い合いが頻発しいていました。五代は英国滞在中に学んだことを生かし、『これからは商人同士、信頼し合い互いに協力することの重要性』を訴え、「大阪株式取引所」の設立を提案します。そして、明治11年(1878年)6月17日、大阪株式取引所設立の免許を受け、同年8月15日に開業しました。この考えに賛同した人たちの中には、広瀬宰平(初代住友総理人)や鴻池善右衛門(大阪の両替商・鴻池財閥)大阪の財界人らがいました。