今から157年前の1859年(安政6年)6月某日、堀孝之(15)は長崎遊学で来ていた五代(23)と知り合いになります。堀の一生を決めた運命の年となるわけですね。
この出会いから数年後には五代との二人三脚を象徴するような2つの大きな経験を共有します。それは「五代、水夫に化けて上海へ密航http://ssmuseum.jp/wordpress/?p=980」でご紹介した出来事に、堀も乗船していたのではということ。なぜそう言えるのかというと、乗船した参加者のなかに4人の水夫が含まれ「才蔵(実は五代)・忠之助(薩摩藩船手之者)・八蔵・元次郎」(春名徹1987)この忠之助が堀であると言われております。堀家に伝わる伝聞によれば、孝之の父・達之助の編集した「英和対訳袖珍辞書」の印刷を上海で行う密命をおび、文久2年(五代と同じ年)に彼は密出国したとあるためです。
そして、もう1つの共有が、英国留学です。彼は留学ではなく、五代らの通訳として同行します。イギリスに行く際も、大陸旅行、交渉など、どこに行くのも堀は五代と共にし、また五代も堀を信頼し頼りにしていました。年の差はあっても、素晴らしい友情関係があったのではないかなと思います。
久徳