町田久成、大政官に博物館の必要性を建議する

IMG_2153旧幕府時代の江戸は、公共的な施設が乏しい状況でした。植物園や図書館は医学館に付属する薬草園や書籍館というかたちで存在していたものの、町人には無縁のものでした。学問はもっぱら書物からという伝統で、物品に関する研究は野人の道楽とみなされて軽視され、歴史的文化財に対する関心は極めて低かったのです。そのうえ、古器物は所蔵者に任せたままで、ほぼ野ざらしに近い状態でした。そして、維新政府がすすめる洋風化改革により伝統文化の破壊の勢いは激しくなる一方、古器物に対しては、法律による保護対策をとることが急務になっていました。

そのようなことで、明治4年(1873年)6月5日、このような状況下で提案されたのが「大博物館建設の必要」、町田久成の博物館建設の構想は新政府の事業として注目されるものでした。「博物館を建てたい」という強い思いを抱いて大学(のちの文部省)への異動(英国王子の接待で謹慎処分を受けての)を承知した彼は、博物館建設のために必要なことを大きく2つに絞り込みました。第一に展示に不可欠な博物館資料を確保すること。第二に収集した資料を保管して公開するための展示館を建設することでした。そして、その2つの要望は同時進行で進められることとなり、ここから博物館建設の1歩を踏み出したのでありました。

久徳

 

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