123年前(1893年)の今日、寺島宗則 息を引きとる・・・

IMG_2156123年前の1893年(明治26年)6月6日午後9時、寺島宗則、東京・芝の自邸で亡くなりました。60歳でした。

寺島の人となりは、沈毅・寛裕・・・。明治初年、英国公使パークスは、傲慢不遜で策略を弄し、日本政府を恫喝してくる。そのため、3代目外務卿だった副島種臣は衝突することがしばしば・・。しかし、寺島は「パークスを制するのには、巻煙草二 , 三本吸う間辛抱することです。そうすれば、後はこちらのものです」と・・。さすがのパークスも、この寺島の悠然とした態度にはその怪腕を振るえなかったようです。いかに外交術に長けていたかが窺われます。また犬養毅(第29代内閣総理大臣)は「寺島宗則は頭のいい人だった。時の財政家の遣り口を評して、按摩の財政だといったので、その訳を聞いたら、お客がここが痛いといえばそこを揉む。いや、こっちが痛いといえばまたそこを揉む。少しも自分の方針というものがない。今日のだれかれの遣り方を見ても、昭和の代になっても、やはり按摩の政治かというだろう」(東京日日新聞昭和5年10月30日号『犬養木堂伝』巻下「逸話篇」所収)と述べたそうです。また維新期の薩摩藩には、武勲派といわれる人たちがおりましたが、寺島とそれらの人々との関係はみられないようです。やはり、五代と同じく薩英戦争で英艦の捕虜となったことが・・・、一応の了解はついていたはずですが、それでもなお氷解しないものがあったといわれています。

寺島は、6日午前10時頃、看護人に向かい「条約改正に付意見あるを以て書記を呼び、予の言うことを筆記せしめよ」と命じたそうです。死ぬ間際まで国を思う心でいっぱいだったのですね・・・。

畠中

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